伊藤小左衛門

 



                                マイセン窯

                               「柿右衛門写し」の

                               コーヒーカップ

                               

                                協力/ひいらぎ珈琲店




マイセンMeißen)はドイツ・マイセン地方で生産される磁器の呼称。名実ともに西洋白磁の頂点に君臨する名窯である。

 初期は明、その後は殆ど日本の伊万里港などから伊藤小左衛門等の手を経て鄭成功を通じて もたらされた白磁(イマリ)は、17世紀頃の西洋社会では憧れの芸術品であった。

 それまでヨーロッパの土の性質上、白い陶磁器が出来なかった各国が競ってその製造開発に乗り出し、ザクセン王国のアウグスト強健王も錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーにイマリ(白磁)のような白い器を作るように命じた。彼は物理学者・数学者・哲学者エーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスらの協力を得て、1709年にザクセン・フォークラント地方のアウエ鉱山のカオリンを原料とした白磁の製造に成功。アウグスト帝はこれに大満足し、西洋磁器の歴史の幕が開けた。

 翌1710年にドレスデンに「王立ザクセン磁器工場」が設立され、硬質磁器製造の独占権が与えられた。これが現在の「国立マイセン磁器製作所」の始まりである。数ヵ月後に磁器工場は25km離れたエルベ川沿いのマイセン地方・アルブレヒト城の内部に移され、厳重に機密が保持された。また、同年1月23日には「ザクセンでは今や東インドと同等の磁器の製造が可能になった」という布告が出ている。

 日本では、元禄時代が終わり、次の宝永年間に入った頃である。

 そしてイマリは350年の時を経て、「柿右衛門写し」などの当時の痕跡を残しながら、私たちの卓上にコーヒーカップなどの高級テーブルウェアとして永い旅の末に還ってきた。

黄金の日々は終わり、鎖国時代の始まりの頃、日本の東と西とで時を同じくして創業した二人の商人がいた。


江戸日本橋、越後屋。後の三越。

幕府御用商人となり、現代にまで続き三井グループの一翼を担う。


博多浜口町、伊藤小左衛門。

隣国明の遺臣 鄭成功を扶け、伊藤小判を鋳造、対岸の朝鮮貿易で巨利を掴むが、徳川中央政府に睨まれ、一族皆殺しに..。


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